※本記事は2021年2月25日に公開した記事を再掲したものです。
同志社ビジネススクール教授の河南順一氏は、Appleが1997年にスタートした「Think different」キャンペーンの日本法人責任者を務め、マクドナルドではCEOコミュニケーションの一新を担った方です。
なぜAppleやマクドナルドは業績不振からV字回復できたのか、ユーザーインサイトに本当の意味で刺さる商品はどのように生まれたのでしょうか。そこにはマーケティングにおける重要なヒントが数多く散りばめられているはず。今回は河南さんに、マーケティングやユーザーインサイトの重要性、「Think different」キャンペーンの裏側など、じっくりお話いただきました。
目次
マーケティングをキャリアの軸にしようと決めていた
福田:まず簡単にご経歴を教えてください。
河南順一氏(以下、河南氏):最初に入社したのがモービル石油。ここでは営業やシステム部門に在籍していました。
11年ほど在籍したAppleや、サン・マイクロシステムズでマーケティングを担当し、その後マクドナルドに転職しました。基本的に、コミュニケーションは広告・広報・イベントなどの機能を持ち、マーケティングの中の一部門でしたが、日本で上場しているマクドナルドではコミュニケーションが別の部署に分かれています。最初はマーケティングを担当し、その後にコミュニケーション部門に異動しました。
8年ほど在籍した後、すかいらーくに転職。ここでは同社が再上場する際にコミュニケーション部門を立ち上げた後、2015年に再びマクドナルドに復帰。当時はマクドナルドの業績がかなり厳しかった時期で、CEOの社内外のコミュニケーションをメインにサポートしていました。マクドナルドは通算12年在籍していた形です。
福田:最初からマーケティング畑だったわけではないんですね。
河南氏:そうですね。ただ、もともとマーケティングには興味があり、自分のキャリアの主軸にしたいという思いがありました。
マーケティングと一口に言っても分野はさまざまですし、業界によっても手法は大きく異なりますが、共通しているのは「お客様のインサイトをしっかり掴む」こと。これはどこの業界、企業でも変わりません。
福田:Appleでの仕事について教えてください。
河南氏:Appleにはマーケターとして入社しました。Appleではマーケティングが幾つかの分野に分かれています。私が担当していたのはプロダクトマーケティング、マーケティング・コミュニケーション、サードパーティーマーケティングです。
当時のAppleはまだiPhoneが出る前で、パソコンの製造販売を主体とする会社でした。パソコンはアプリケーションや周辺機器があって、初めてソリューションとして売れるもの。ソリューションを売るために、サードパーティーの開発会社にApple用にアプリケーションソフトを開発してもらうよう依頼したり、プリンターやデジカメなどの周辺機器をつくるデベロッパーと一緒にマーケティングをやったりするのがサードパーティーマーケティングの仕事です。
福田:僕がぜひ伺いたいのは、Windows95が出てAppleが不調だった時期のことです。UIはMacとあまり変わらないのに、なぜ後発のWindows95が爆発的に売れたんだろうと思っていて。そのあたりの話をマーケティングの視点から伺いたいです。
河南氏:AppleのGUI(Graphical User Interface)はパーソナルコンピュータの操作性において圧倒的な優位性を誇っていたのですが、WindowsでGUIが実装され、Windows95で強化されたことで優位性は失われ、もともとビジネス市場でのシェアの大きかったPCの牙城を崩せなかったのが大きな原因だと考えてられています。なのでWindowsには、ビジネスユースのアプリケーションが豊富に揃っているんですね。デベロッパーにとってはシェアが大きいほうを優先するのはビジネス的に魅力があるので、どうしてもWindows向けの開発が優先されます。それでどんどん差が広がって行きました。
Apple復活の舞台裏
福田:その後Appleは復活に向けて動き出すわけですが、マーケティングの観点で何がポイントだったんですか?
河南氏:スティーブ・ジョブズ氏がAppleに復帰して最初にやったのが、パーソナルコンピュータ以外の製品にも多岐にわたって拡大していたビジネスを、再度フォーカスし直すことでした。
当時はプリンターやインクジェット、サーバー、ネットワークのコネクタ、モニターなどを扱っていましたが、それぞれが独立して分社化しており、全くと言っていいほどシナジーは生まれず、Appleとは何の会社なのか自分たち自身にも分からなくなっていて……。
Appleの優位性はどこにあるのかを整理して初めて、マーケティング戦略やコミュニケーションの軸を作ることができるんです。スティーブが大鉈を振るってビジネスを整理し、フォーカスする分野を絞ったのが、復活のきっかけになりました。
福田:具体的にはどんな風に進めたんですか?
河南氏:スティーブが復帰する前は発信するメッセージが世界各地の拠点や製品分野によってバラバラでしたが、復帰後にようやく全世界で統一したメッセージを出せる状態になりました。そのうえで、優位性だけでなく、Appleはそもそもどんな会社なのかをしっかり発信し始めたんです。
ビジネスユースではWindowsにシェアで差をつけられていましたが、印刷や音楽、グラフィックや建築など、クリエイティブに特化したプロ市場のソリューションには優位性があったので、そこにフォーカスを絞ってコミュニケーションを設計した形です。
その後大きく変わったのがiMacを出した1998年。当時は技術が分からないユーザーにもインターネットが広がり始める時期だったので、「若い人だけでなく、ご年配の方やお子さんでも使えるというメッセージとして「簡単・3ステップで使える」を打ち出しました。もともとパソコンユーザーではなかった層に大きく広げたのが、マーケティング的に大きなポイントでした。
デザインがファッショナブルだったので、展示先も秋葉原などにあるパソコンショップだけでなく、銀座や渋谷に広告を出したり、パソコンショップではない店のショーウィンドウに飾ったりしました。今までのパソコン業界にはない「ファッション性」を大きく打ち出すマーケティング戦略を取ったことも功を奏した形です。
福田:Apple製品の直感的な使いやすさは、社内でAppleがそもそも何の会社なのかがコンセプトとして共有されているからなのかもしれませんね。
河南氏:まさにそれがAppleの核になっていると言えます。Macintoshが出た際に作られたユーザインターフェースがずっと踏襲されており、これがAppleの使い勝手のベースになっているんです。ユーザーはパソコン側で何がどういう風に動いているのかを意識しなくても、ユーザーインターフェースが使いやすければ、自分のやりたいことができる。それが直感的な使いやすさにつながっているのです。